ヨネックス TRACEは、2026年3月に発売される純国産カーボンロードバイクです。新潟県長岡市の自社工場で製造され、フレーム重量680g(Sサイズ未塗装)という世界最軽量クラスの軽さを実現しています。フレームセット価格は880,000円(税込)、Shimano ULTEGRA Di2完成車は1,540,000円(税込)となっています。
ヨネックスといえば、バドミントンやテニスのラケットで世界をリードするスポーツ用品メーカーとして知られていますが、2014年からロードバイクフレーム市場にも参入しています。同社がカーボン素材の扱いに長けていることは言うまでもなく、ラケット製造で培った技術をフレーム開発に応用してきました。そして今回、その集大成として誕生したのがTRACEです。このモデルは、軽量性と空力性能、そして安定性という相反する要素を高次元で融合させた、まさにオールラウンダーと呼ぶにふさわしい一台となっています。本記事では、TRACEに搭載された先端技術から製造工程、競合モデルとの比較まで、このフラッグシップモデルの魅力を詳しく解説します。

ヨネックス TRACEとは何か
ヨネックス TRACEとは、同社が2026年に発表した新型フラッグシップロードバイクです。「TRACE(トレース)」という名称には、ライダーが狙ったラインを正確に追従するという意志が込められています。これは単なるネーミングではなく、設計思想そのものを表しています。近年の軽量化競争において犠牲になりがちだった安定性やハンドリングの正確さを、最新テクノロジーによって取り戻すというコンセプトが根底にあります。
TRACEの最大の特徴は、純国産であるという点です。開発から製造まで、すべての工程が日本国内で完結しています。具体的には、新潟県長岡市にあるヨネックスの生産本部において、熟練の職人たちが一台一台手作業でフレームを製造しています。世界のハイエンドロードバイク市場では、多くのメーカーが台湾や中国の工場で製造を委託していますが、ヨネックスは自社工場での一貫生産体制を貫いています。この「Monozukuri(ものづくり)」の精神こそが、TRACEの品質を担保する最大の要素となっています。
ヨネックスのロードバイク開発の歴史
ヨネックスがロードバイクフレーム市場に参入したのは2014年のことでした。初代モデル「CARBONEX(カーボネックス)」は、当時としては驚異的な軽量性を武器に市場に衝撃を与えました。カーボンという素材はヨネックスにとって「知り尽くした相棒」であり、そのノウハウを自転車フレームに応用することは必然的な流れでした。
その後、ラインナップは着実に拡充されてきました。高剛性モデル「HR」、ディスクブレーキ対応の「HRD」、そして超軽量モデル「SLD」と、用途に応じた多様なモデルを展開し、国内のヒルクライムレースシーンを中心に確固たる地位を築いています。しかし、世界のロードバイクのトレンドは「軽量一辺倒」から「エアロダイナミクスと多用途性の融合」へとシフトしていました。スペシャライズドのTarmac SL8やキャニオンのUltimate CFRといった競合他社の旗艦モデルは、軽さと空力を高次元で両立させています。これに対するヨネックスの回答が、軽量モデルとエアロモデルの境界線を無効化するオールラウンダー「TRACE」なのです。
TRACE開発におけるトップライダーとの協業
TRACEの開発プロセスにおいて特筆すべきは、日本のヒルクライム界で「山の神」と称されるトップアマチュアレーサー、森本誠氏の深い関与です。実験室での数値データは重要ですが、実際のレース環境における官能評価は、人間の感覚に頼らざるを得ません。特に極限の疲労状態におけるバイクの挙動や、ペダリングに対する微妙な反力といった感覚的な要素は、数値では捉えきれないものがあります。
森本氏や金子広美氏といったトップライダーからのフィードバックは、単に「剛性を上げる」「軽くする」といった単純なパラメータ調整ではなく、より実戦的で具体的な設計変更へと昇華されました。「BB位置を下げて低重心化する」「ヘッド周りの剛性を最適化して下りの恐怖心を取り除く」といった改善は、日本の急峻な山岳道路を知り尽くしたライダーの声があってこそ実現したものです。TRACEは、素材を知り尽くしたエンジニアと、日本の峠道を知り尽くしたライダーの対話の結晶と言えます。
TRACEに採用された先端カーボン素材
TRACEの核心は、ヨネックス独自のカーボンテクノロジーにあります。自転車業界の多くのメーカーが汎用的なカーボンシート(プリプレグ)を使用して製造を行っているのに対し、ヨネックスは素材メーカーと共同開発した独自の材料を用いています。ここでは、TRACEに採用された主要なテクノロジーを詳しく見ていきます。
フレームのメイン素材には、東レ株式会社の次世代炭素繊維「トレカ® M46X」および「M40X」が採用されています。従来の炭素繊維技術において、繊維の「弾性率(硬さ)」と「強度(粘り強さ)」はトレードオフの関係にありました。硬いカーボンは脆く、強いカーボンは柔らかいというのが常識だったのです。しかし、M40XおよびM46Xは、ナノレベルでの繊維構造制御技術により、この相反する要素を同時に向上させることに成功しています。
具体的には、M40Xは引張弾性率377GPaという高弾性を持ちながら、圧縮強度も大幅に向上しています。これにより、フレームのパイプ肉厚を極限まで薄くしても、ペダリングパワーを受け止める剛性と、落車や衝撃に対する耐久性を維持することが可能となりました。TRACEが680g(Sサイズ未塗装)という驚異的な軽さを実現できた背景には、この素材革命があります。
2G-Namd™ Speedが生み出す独自の加速感
ヨネックスのアイデンティティとも言える技術が「Namd(エヌアムド)」です。これは、カーボン繊維の束をまとめる樹脂(マトリックス)に、カーボンナノチューブ(CNT)を均一に分散・付着させる技術です。一般的なカーボンフレームでは、ライダーがペダルを踏み込んでフレームがしなった際、そのエネルギーの一部は樹脂の変形に伴う熱エネルギーとして散逸してしまいます。しかし、Namdを採用したカーボンは、カーボン繊維と樹脂の界面密着性が極めて高く、柔軟なしなりを見せながらも、変形からの復元速度(スナップバック)が劇的に速いという特性を持っています。
TRACEに搭載された進化版「2G-Namd™ Speed」は、この復元速度をさらに高めたものです。これは、ペダリングの入力エネルギーをフレームが一瞬蓄え、ペダルが下死点を通過する瞬間に爆発的な推進力として開放することを意味します。バドミントンラケットのアストロクスシリーズにおいて、スマッシュの初速を7.1%向上させたという実証データがありますが、この「しなって、弾く」という挙動は、特に急勾配でのダンシングやスプリントにおいて、ライダーに「背中を押されるような加速感」を提供します。
振動吸収と路面追従性を高める複合素材技術
剛性と加速力だけでは、長距離を速く走ることはできません。路面からの振動はライダーの体力を奪い、バイクの接地感を損なわせるからです。TRACEには、東レのナノアロイ®技術を応用した「NANOMETRIC DR」が採用されています。これは高い「粘り強さ(靭性)」を持つ素材で、衝撃吸収性と振動減衰性を高める効果があります。
さらに、トヨタグループで開発されたチタン合金「GUMMETAL(ゴムメタル)」も複合されています。ゴムメタルは金属でありながらゴムのような弾性変形をする特殊合金で、これをフレームの特定の部位に使用することで、独自の「バネ感」と、路面に吸い付くようなトラクション性能を生み出しています。また、フレーム内部には高密度発泡材「MICRO CORE(マイクロコア)」が充填されています。これが音叉のように共振するカーボンの微振動を物理的に減衰させ、上質な乗り心地を実現します。これらの複合素材技術こそが、単なる軽量バイクとは一線を画す、TRACEの「質感の高い走り」の源泉です。
TRACEの空力性能と軽量化の両立
現代のロードバイクにおいて、空力性能は避けて通れない課題です。TRACEは、従来の軽量モデルであるCARBONEX SLDと比較して、空気抵抗を4%削減することに成功しました。この数値は、風洞実験施設での徹底的な検証によって導き出されたものです。ヘッドチューブは前方投影面積を最小限に抑える鋭角な形状にデザインされ、ダウンチューブやトップチューブも気流を乱さないスレンダーな形状が採用されています。
興味深い比較データとして、ヨネックスのエアロロードモデルである「CARBONEX HRD」との比較があります。TRACEはHRDに対し、50km/h走行時の空気抵抗では6%劣るものの、重量においては70g軽量です。この「70gの軽量化」と「わずか6%の空力差」というバランスは、日本の多くのレースシーンにおいてTRACEが最適な選択肢となることを示唆しています。富士ヒルクライムや乗鞍などのヒルクライムレース、アップダウンの激しいロードレースでは、空力よりも軽量性が有利に働く場面が多いためです。時速50kmという高速域に達しない多くのアマチュアライダーにとっては、実質的な速さはTRACEに分がある可能性が高いと言えます。
680gという世界最軽量クラスの重量
Sサイズの未塗装フレーム重量680gという数字は、ディスクブレーキロードバイクとして世界最軽量クラスに位置します。競合するスペシャライズドのS-Works Tarmac SL8が約685g、キャニオンのUltimate CFRが塗装やサイズによりますが600g台後半から700g台であることを踏まえると、TRACEはこれら世界のトップブランドと完全に互角の数値を達成しています。
重要なのは、この軽さが「剛性を犠牲にしていない」という点です。前述のM40XやM46Xといった高強度素材の使用により、必要な剛性を確保した上で、余分な樹脂やカーボンを削ぎ落とした結果としての680gなのです。軽さのために剛性を犠牲にしたバイクは、ペダリングパワーがフレームのしなりに吸収されてしまい、加速感に乏しくなります。TRACEはその点において、踏んだ力がダイレクトに推進力へと変換される感覚を維持しています。
低重心設計によるTRACEの安定性
TRACEの設計思想において、最もドラスティックな変更が行われたのがジオメトリー、特にボトムブラケット(BB)の位置です。従来のCARBONEXシリーズでは、BBドロップ(前後ホイール軸を結んだ水平線からBB中心までの垂直距離)は68mmに設定されていました。これはロードバイクとして標準的な数値であり、軽快な反応性を重視したものでした。しかし、TRACEではこの数値を72mmに変更し、BB位置を4mm下げています。
たかが4mmと思われるかもしれませんが、自転車の重心設計においてこの差は決定的です。BB位置が下がることで、ライダーとバイクを合わせたシステム全体の重心が低下します。物理学的に、重心が下がることは「静的安定性」と「動的安定性」の双方を向上させます。高速巡航時には直進時のふらつきが抑制され、高速域での路面への張り付き感が増します。ダウンヒルコーナーにおいては、低い重心がバイクを倒し込んだ際の挙動を穏やかにし、タイヤのグリップ限界を感じ取りやすくします。開発者が「路面に吸い付くような感覚」と表現しているのはこのためです。
一般的に、BBを下げると重心移動に対する反応(いわゆるヒラヒラ感)が鈍くなると言われますが、TRACEではフレーム自体の超軽量性と高剛性によってこのネガティブ要素を相殺しています。むしろ、安定しているからこそ安心してバイクを振れるという、逆説的な軽快さを実現しています。
TRACEのサイズ展開と日本人への最適化
TRACEはXS、S、Mの3サイズ展開となっています。海外ブランドのバイクでは、最小サイズでもトップチューブ長が長すぎたり、剛性が高すぎて小柄なライダーには硬すぎたりするケースが散見されます。しかし、ヨネックスは開発段階から日本人ライダーを基準に据えています。
サイズごとにカーボンの積層スケジュール(レイアップ)を調整し、どのサイズに乗ってもTRACE本来の「しなり」と「反発」を感じられるようにチューニングされています。公式には「直進安定性と機敏性の両立」を目指した設計とされており、日本の平均的なライダーの体格において、無理のないポジションが出せる設計になっています。小柄なライダーにとって、海外ブランドの最小サイズでさえ合わないという悩みは珍しくありませんが、TRACEのXSサイズはそうした層にも対応できる貴重な選択肢となっています。
新潟県長岡工場での純国産製造
ヨネックスのバイクが「純国産」であることの意義は、単なる産地表示以上の価値を持ちます。新潟県長岡市の生産本部では、熟練の職人たちが一台一台、手作業でフレームを製造しています。開発拠点(ヨネックス・パフォーマンス・イノベーション・センター)と製造工場が同一敷地内にあることも大きな強みです。設計者が意図した通りの積層ができているか、現場の職人が即座にフィードバックを行い、修正する。この迅速なPDCAサイクルは、海外委託生産では決して真似できないものです。
カーボンフレームの製造において最も恐ろしいのは、内部の剥離やボイド(気泡)、樹脂の含浸不良といった目に見えない欠陥です。ヨネックスでは、テニスラケット製造で培った厳格な品質管理基準を適用しています。製造工程において内部検査が行われていることは、同社の品質への姿勢から明らかです。世界的な自転車需要の変動やサプライチェーンの混乱が続く中、自国内でこれほど高度な製造能力を維持し、進化させ続けているヨネックスの存在は、日本のサイクリストにとっての誇りとも言えます。
職人による超軽量塗装技術
TRACEの驚異的な軽さを支える隠れた要因が、塗装技術です。一般的な量産ロードバイクの塗装重量は、70gから120g程度と言われています。厚い塗膜は表面の凹凸を隠すのに都合が良い反面、重量増を招きます。これに対し、TRACEの塗装は約35gから60g程度、つまり通常の約半分という驚異的な軽さに仕上げられています。
これを実現しているのは、長岡工場の塗装職人によるスプレーガン捌きです。カーボン地が透けないギリギリの薄さで、かつ色ムラなく均一に塗料を吹き付ける技術は、長年の経験なしには不可能です。塗装を薄くすることは、単なる軽量化だけでなく、カーボンの織り目が持つ美しさを引き立て、フレームのシャープな造形を際立たせる効果もあります。カラー展開の「アクアナイトブラック」や「ターコイズ/グレー」は、この職人技によって深みのある発色を実現しています。
TRACEの整備性と実用的な規格選択
ハイエンドバイクにおいて、独自規格の乱立はユーザーやメカニックの頭痛の種ですが、TRACEはこの点において極めて実用的かつ良心的な選択をしています。近年、多くのメーカーが圧入式(プレスフィット)BBから、ねじ切り式BBへと回帰していますが、ヨネックスもTRACEにおいてJIS(BSA)規格のねじ切りBBを採用しています。圧入式BBはフレーム製造が容易で軽量化しやすい反面、音鳴りトラブルが発生しやすく、脱着によるフレームへのダメージリスクがありました。ねじ切りBBの採用は、信頼性とメンテナンス性を最優先するシリアスレーサーやメカニックから絶大な支持を得る要素です。
ブレーキ規格にはフラットマウントディスクブレーキが採用されています。これは現代ロードバイクの標準規格であり、シマノ、スラム、カンパニョーロ等の主要コンポーネントに対応します。ヘッドセットは上下1.5インチの大径ベアリングを採用し、ケーブルのフル内装に対応しています。これにより、ハンドル周りの空力性能向上と、クリーンな外観を実現しています。シートポストは専用のD型断面形状を採用しており、円形ポストに比べて空力性能が高く、かつ後方へのしなりを生み出すことで乗り心地を向上させています。
TRACEの価格と競合モデルとの比較
TRACEの価格は、フレームセットで880,000円(税込)、Shimano ULTEGRA Di2完成車で1,540,000円(税込)となっています。この価格帯は、間違いなく市場の最高峰セグメントに位置します。では、競合他社と比較してTRACEの優位性はどこにあるのでしょうか。
以下の表で主要な競合モデルと比較してみます。
| モデル名 | フレームセット価格 | 特徴 |
|---|---|---|
| ヨネックス TRACE | 880,000円(税込) | 純国産、680g、Namd技術 |
| Specialized S-Works Tarmac SL8 | 約79万円〜80万円台後半 | 世界的人気、入手困難な場合あり |
| Canyon Ultimate CFR | 完成車約120万円〜(直販) | コスパ最強、サポート体制に不安も |
| Bridgestone Anchor RP9 | フレームセット約55万円 | 国産、コスパ良好、エアロ寄り |
TRACEの88万円という価格は、S-Worksなどの海外トップブランドと同等レベルです。しかし、「国内生産による品質の安定性」「納期遅延リスクの低さ」「唯一無二の素材による走行性能」を考慮すれば、その価値は十分に正当化されます。特に円安の影響で海外製品の割高感が増す中、適正な価格で最高品質のものが手に入るという意味で、TRACEは合理的な選択肢となり得ます。
TRACEはどのようなライダーに最適か
TRACEは、特定のタイプのライダーにとって最適な選択肢となります。まず、ヒルクライマーにとっては理想的な一台です。1gでも軽く、かつ踏んだ力が逃げないバイクを求める層にとって、680gという軽さとNamdが生み出す加速感は大きな魅力となります。
次に、小柄なライダーにも強くおすすめできます。海外ブランドのジオメトリーに悩まされてきた層にとって、日本人の体格を基準に設計されたTRACEは救世主となり得ます。XSサイズから用意されており、サイズごとに剛性バランスも最適化されています。
品質至上主義者にとっても、TRACEは魅力的な選択肢です。塗装の美しさや細部の仕上げ、製品精度の高さを重視する層には、長岡工場の職人技が生み出すクオリティは他に代えがたいものがあります。
そして、ロングライダーにも適しています。硬すぎるレースバイクに疲れ、身体に優しい「しなり」のあるバイクを求める層には、NANOMETRIC DRやGUMMETALが生み出す振動吸収性と、Namdによる独自のしなり感が長距離での快適性を約束します。
ヨネックス TRACEが示すロードバイクの新たな可能性
ヨネックス TRACEは、数値上のスペック競争を超えた、感性に訴えかけるロードバイクです。680gという圧倒的な軽さは、重力からの解放を意味します。Namdが生み出す独自の加速感は、ライダーとバイクの一体感を高めます。そして、低重心化されたジオメトリーは、あらゆる路面状況においてライダーに安心感を与えます。
これらはすべて、新潟県長岡市の工場で、日本の職人たちが情熱を込めて作り上げた結果です。TRACEは、日本の技術の粋を集めて、速さと快適性、そして安心感を極めて高い次元で融合させた一台と言えます。2026年3月の発売以降、日本の峠道やレース会場で、その美しいシルエットを目にする機会が増えることでしょう。それは、日本のロードバイク史における新しい章の始まりを告げる光景となるはずです。


コメント